江戸時代から様々な商いを経て、平成初頭まで書店として長らく町の人に親しまれていた場所でしたが、その歴史の長さと比例するように、積み重なった膨大なモノたちを抱えながら建物はしばらく眠っていました。
結婚をきっかけに2014年に東吾妻に移り、並々ならぬ「片づけ」との格闘を乗り越えて、再び朝陽堂を開いて5年。これまでのヒストリーを店主の山口純音さんに伺いました。

7年がかりの膨大なモノとの格闘の日々
高校生までは埼玉・上尾で過ごした純音さんは、東北芸術工科大学に進学し、卒業後も山形で就職し暮らしていました。夫の新さんとの結婚を機に、新さんの地元の東吾妻へ移り住むことに。結婚前から、実家には古い建物がある、と聞いていて、大学で工芸を専門に勉強していて古いものが好きだった純音さんは、見るのを楽しみにしていたそうです。
平屋で、縁側があって、お庭があって、みたいな日本家屋を楽しみに想像していたんですけど、実際に見てみたら結構すごくて…!どっしりとした土蔵造りの暗い店舗に、売れ残った商品とかモノとかが積み上がったまま残されて、時が止まったままの状態でした。本当にモノがすごくいっぱいあったので、どうしよう…っていうのが第一印象でした。(山口純音さん)
もともと表半分はお店として、奥は住まいとして使われていた建物でした。結婚後の二人の住居とするため、先行して奥のスペースを改修、水回りを新設して住まいとして整え、東吾妻町での暮らしがスタートしました。
ここに住もうと思ったのも、誰か人がいて常に空気を入れ変えないと、建物が傷んでしまうからなんです。じゃあ私たちが住もうかって。実妹が見にきた時は驚いて反対されましたけどね(笑)。(山口純音さん)
そして本格的に、表の店舗部分の片づけに着手していきます。
何もしなければお店部分はずっとそのままじゃないですか。もう誰かがやんなきゃなんないし、じゃあやるかって。お店を再びやるとかそんなビジョンも思い描けないような状況でしたけど、とりあえず足元からと片づけ始めたのが運の尽きでした。振り返ってみると、新婚の勢いとノリがあったからできたっていうところもありますね(笑)。(山口純音さん)
膨大でごちゃごちゃとしたモノに埋もれていても、垣間見える大黒柱や梁から、ここがすごい建物だということ、山口家にとっての大事な場所だということを感じていた純音さん。ゴールが見えないほどの物量でしたが、このままにしておけないと、「まずとにかく片づける。」と繰り返し唱えるような気持ちで作業を進めていきました。

毎日の暮らしがあり、仕事があり、子どもも生まれて、という中でも地道に片づけ続けた日々でした。お正月やゴールデンウィークなど、帰省で家族が集まるタイミングには、新さんの兄弟や家族みんなで力を合わせて、大きなモノの片づけや移動をすることが恒例行事化していたそうです。
片づけが進むにつれて視界が開けてきて、小さな達成感が積み重なってくるんです。すると、ここの良さもますます見えてきて、ここに柱があるんだとか構造がわかってきたり、階段があったことも初めてわかったりして。古いものが好きだから、楽しさもないわけではなくて、たまに『何これ!』という面白いものも出てくるんです。大袈裟に言うと、これが使命だと思って。心の重荷に感じたこともあったけど、やるしかないってライフワークになっていました。(山口純音さん)
お店だったころの商品に加え、ひいおじいさん・ひいおばあさんの代からの家族のモノがたくさん残されていました。自分たちが孫以下の世代で、直接会ったことがない人のモノだったからこそ、目をつぶって思い切って処分できたところもあったそう。
古い建物を再び甦らせる時、最初の大きなハードルとなるのが残された大量の家財やモノの片づけ。途中には、急な事情で隣に建つ蔵の取り壊しが優先となり、中断を余儀なくされた時もありましたが、7年がかりの長い闘いが終わり、ついに片づけを完了しました。
古いものの良さに光をあてるリノベーション

ゴールが迫るにつれて次第に現れてくる建物自体のすばらしさを見て、なるべく元の姿を活かしながら改修したいという思いが強くなっていったと言います。
2020年の夏から改修工事に着手。近所の腕のいい大工さんが相談に乗ってくれました。美術教員の新さんが絵に描いてイメージを伝え、大工さんが形にしていくという流れで工事を進めていきましたが、大工さんの匠の仕事に感動したそうです。
小上がりの上り框、表面はもともとあった古い材なんですけど、中はボソボソになってしまっていたんですよね。その傷んだ部分を取り除いてから、古い材と新しい材を組んで補強して、表の木材の風合いを活かしてはめ直してくれてるんですよ。すごいですよね!(山口純音さん)

もともとあるものや姿を活かして直したいという純音さんと新さんの思いを汲んで、手間をかけて細部まで丁寧に仕上げてくれた大工さん。新しく添え柱を入れた部分も、選りすぐりの木を持ってきて入れてくれたそうです。



店舗部分と住居スペースを区切る建具も、山口家が昔からずっとお世話になっている職人さんで、「じゃあとっておきの材でやってあげるよ!」と作ってくれたそうです。今でもお客さんで目利きの人が訪れると、その仕事ぶりに目を惹かれしばらく眺めていくといいます。
たまたまご近所でいい職人さん達に出会えて、すごく良くしていただいて運が良かったと、工芸を学んだ純音さんは、当時の感動を鮮やかに振り返り教えてくれました。きっと地域の人々もこの場所に思いを持ってくれて、建物を残すことを助けてくれたのだと感謝しているそうです。
元の姿を活かすことに加え、空間作りで大切にしたことは明るさ。昔、おばあさんが営んでいた頃のお店は、土蔵特有の薄暗さがありました。思い切って2階西側の床板の一部を自分たちで抜いて、上の窓からの光が1階まで入るようにしました。立派な梁や根太はそのままですが、床板がなくなるだけで圧迫感がなくなり奥行きを感じることができます。安全のための柵は大工さんにお願いしました。
昔の朝陽堂書店の頃って照明も少なくて本当に暗〜くて、お客さんが来るとおばあちゃんがヌッと出てくるみたいな感じだったそうで(笑)。そのイメージを変えて、なるべく明るい雰囲気にしようと心がけました。光が当たってこそ、古いものの良さがよくわかる。古いからこそ明るくてキレイでないとダメだなと。(山口純音さん)
一方で、昔のイメージを大切にした部分もあります。
土間のお店って昔から珍しかったらしくて、朝陽堂=土間っていうイメージの人も多かったそうなんですよ。だからお店の入り口の部分だけは昔のままにしました。すごく迷ったんですけど、全部残そうとすると埃や湿気がすごくて大変になってしまうので、入り口以外の部分はインターロッキングを入れました。(山口純音さん)

昔のままの文字通りの土間は、地面から上がってくる湿気が建物を傷ませる原因にもなってしまいます。その悩みの種を抑えるよう、小上がりの下の部分はコンクリートを打設しました。それ以外の目に見える部分は単にコンクリートを打つだけでは味気なくなってしまうので、職人さんの提案でインターロッキングを敷き、建物の雰囲気に合わせた仕上がりになりました。まるで、もともとこうだったのかと思わせる石畳のようなレトロな仕上がりで素敵です。
家具のリペアや漆喰での壁塗り、床の塗装、水道のタイル装飾などは自らDIY。電気水道などのインフラや、自分たちでは自信がない部分はプロにお願いしたそうです。
今のお店の本棚や什器のほとんどは、ここに残されていたものをリペアして活かしています。棚の中にびっしりと江戸時代の古文書のようなものが入っていたこともありました。全部出して、洗って、干して、時には塗り直しも。今は雑貨商品が並べられている素敵な木製の平台ですが、おばあさんの書店の時は毎週新しく届く少年ジャンプが積まれる場所だったそうです。
片づけの時は『捨てる』って行為がほとんどだから、何だかすごく心が荒んでくるというか、悪いなっていう気持ちもあって辛かったんです。家具を直している時は、きれいにしたり塗ったりして、ちゃんと活かされるっていう前向きな気持ちで取り組めて、すごく楽しかったです。(山口純音さん)

取材の途中、おばあさんの山口藤子さんがお店の様子を見に寄ってくれました。

また活用してもらえてよかったなと思いました、250年も前の建物ですから、壊しちゃったらもったいないですからね。(山口藤子さん)
片づけから改修までの道のりは、当時の写真を交えて詳しく教えてくれました。実は冊子「朝陽堂リノベーションの記録」としてお店でも販売されています。夫の新さんは日中は仕事で居ないことが多く、現場に立ち会うのは主に純音さんでした。改修工事の過程で出てくる貴重なものや貴重な瞬間を山口家のみんなにも見せなければと、こまめに写真で記録を残したものを本にまとめ、親族にプレゼントしたことから生まれました。
記事後編は、リノベーション工事が完了して再び開いた朝陽堂と、古民家に住みお店を営む純音さんの日常についてお伝えします。
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